2012年12月19日水曜日

Peter Ferdinand Drucker

 時間がとれたので晩飯に「なか卯」へ (人生初)w 糸コンとしいたけがなんともいえなかったです。券売機の煩さは異常でした。

 その後本屋で立ち読み。

上田惇生. (2009). 『ドラッカー 時代を超える言葉: 洞察力を鍛える160の英知』. 東京: ダイヤモンド社.

ドラッカー 時代を超える言葉―洞察力を鍛える160の英知ドラッカー 時代を超える言葉―洞察力を鍛える160の英知
(2009/10/09)
上田 惇生

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 以下に気になったドラッカーの言葉 (著者訳)及び著者自身による記述をメモ。


「今日われわれは、昔からの問いである一人ひとりの人間の意味、目的、自由という根源的な問題に再び直面している。世界中の若者に見られる疎外の問題が、この問いに答えることを迫っている。組織社会が、選択の機会を与えることで、一人ひとりの人間に意思決定を迫る。」(p. 9).
 
 選択肢の豊富さに困ってしまうくらいに情報が溢れ、自らの意思決定が容易ではなくなってきた現代社会でこそ、根っこの部分に横たわる、私たちの人間存在、あるいは自己実現のあり様など、個人の強い意思が求められるのだと思います。ネットワークの爆発的な広がりが逆に個人の閉鎖感を高め、意思決定の視野を狭めていく、今日的な課題と突き合わせながらもっと深く考えていきたい部分です。


「データは情報ではない。情報の原石にすぎない。原石にすぎないデータが情報となるには、目的のために体系化され、仕事に向けられ、意思決定に使われなければならない。」(p. 18).

 Information Literacyの概念にも関わってくる重要な言葉だと思います。容易に手に入るようになった情報を知識として活用するには、自分の中に生かすための手続きを踏まなければならないのではないでしょうか。たしかに仮説検証的に目的意識を吹き込んで情報を運用してみることで、初めてそれが意味を成す場合がほとんどかもしれません。


「重要なことは、人材の質を維持し、向上させ続けることである。有能な人材をひきつけられなければ、立ち腐れが始まる。その結果生じる衰退を逆転させることはできない。不況期においてさえ、有能な人材は、挑戦や機会がなく、何かを達成したり成果をあげたりすることのできないところにはとどまらない。」(p. 141).

 仕事にこなれて要領よくやれるようになった時こそ何らかの変革を起こすべきだということが本書では強調されていました。そういった自己を向上させるような仕組みがうまく機能しない組織は捨てていくのが身のためとも書かれていました。そこまでストイックに自己実現に向かえるかは怪しいですが、新しい環境に飛び込むことを恐れないようにはしていきたいです。


「リーダーシップとは人をひきつけるような扇動的資質ではない。人の視線を高め、成果の基準を上げ、通常の制約を超えさせるものである。」(p. 144).

 中高と続けてきた「ジュニアリーダーズサークル」の中でも時折考えさせられたリーダーシップの概念。経営の論理が入り込むと、人的な胆力のような、カリスマ性のような特殊な魅力はむしろ排斥すべきなのかもしれません。大学院の恩師はこれを淡々とやってのけるような人物であるような気がします。納得。


「あらゆる先進社会が組織社会になった。経済、医療、教育、環境、研究、国防など主な社会的課題はすべてマネジメントによって運営される永続的存在としての組織の手にゆだねられた。今や現代社会そのものの機能が、それらの組織の仕事ぶりにかかっている。しかも、今日の市民は被用者である。彼らは組織を通じて働き、組織に生計の資を依存し、組織に機会を求める。自己実現とともに、社会における位置づけと役割を組織に求める。」(p. 214).

 当然のことですが、生まれてこの方人様とのつながりなしに生きてきた瞬間は少しもありません。これからも自分は生きていく以上、何らかの組織に身を委ね、その一員として機能していくことと思います。組織に自分なりの価値観と可能性を見出し、いつ何時そのことについて尋ねられても説明できるような人間でありたいと思います。


「学校と生活は切り離されたものではありえない。学校と生活は相互にフィードバックし合う有機的なプロセスとして結合される。これこそが、継続学習が目指すものである。」(p. 149).

 生涯学習の概念が定着しつつあり、現職・社会人のための大学院や定年を迎えた高齢層の方たちが大学とコミットすることがごく自然な形で実現するようになりました。英語教育の文脈でも、「自律した学習者」の育成が急務とされています。自ら学び続ける学習者を育てるために、教師としてどんな支援が可能なのか、これから仕事に当たるに際して考えを深めていきたいです。


以下著者による記述: 水に入ったことのない者、水圧を体感したことのない者に泳ぎを教えることは至難である(p. 228).

 年齢に適した学習内容を、といった内容に対して書かれていたものであったと思います。学習者のレディネスや背景知識といった個人内要因を鑑みると、確かに学ぶべき時期に則していないような内容を学校教育のある特定の時期に扱わなければならないといった節があるかもしれません。


インドは質量ともに世界最高水準の医師とプログラマーを擁する。他方、知識のない、低賃金で働く肉体労働者は、途上国に豊富にいる。 (p. 227)。

知識労働と肉体労働の両方を行うテクノロジストの育成が求められているという内容に則しての記述でした。そもそも知識労働と肉体労働の境界というか区分が曖昧ですが、「ものづくり」に対する興味を失ったら人間終わりだと思います。機会を見つけてものづくりの経験値、これから高めていけたらと思います。


 全体的に印象に残ったことばに、「真摯さ」というものがありました。何かを成し遂げようとする人に共通してみられる真摯さが自分にはあるかどうかは不安なところですが、とても参考になります。

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